2013年1月31日木曜日

週報2013-1-27

 
2013-No.4 2013年1月27日
顕現節第4主日

【主日の祈り】
全能の神さま。
あなたは権威をもってみ国の到来を告げ、教えるためにみ子を遣わされました。
悩む人によい知らせを、悲しむ人に慰めを、囚われている人に自由を伝えるために、
私たちにみ霊の力を注いでください。
み子、主イエス・キリストによって祈ります。アーメン
 
【礼拝式】
 司  式 宮川幸祐
 奏  楽 樺沢
 聖書朗読 井上ひ
 
 前  奏
 始めの歌   52(こども)
 み名による祝福/十戒 (式文p.1)
 罪の告白/ゆるしの言葉/キリエ/グロリア
 主日の祈り
 第1の日課  エレミヤ  1: 9-12(旧約p.1172)
 第2の日課  1コリント12:12-26(新約p.316)
 福 音 書  ルカ   5: 1-11(新約p.109)
 こどもメッセージ           中村か
 み言葉の歌  53(こども)
 説  教  「しかし、お言葉ですから」安井宣生
 感謝の歌   306(教団)
 信仰告白     (式文p.7)
 奉  献
 教会の祈り
 ヌンクディミティス (式文p.9)
 主の祈り (式文p.10)
 派遣の歌   369(教団)
 祝  福
 後  奏

 
【お知らせ・報告】
■礼拝へようこそ。礼拝後、コーヒー等の準備があります。どうぞお寛ぎください。
■本日の礼拝にロス宣教師夫妻が出席くださいました。ようこそ本郷へ。
■礼拝後、聖歌隊の練習が行われます。
■次週、教会総会が行われます。教会員は必ずご出席くださいますようお願いします。開催通知を配付しています。出欠のご連絡をお願いします。教会員以外の方で参加を希望される方は、牧師まで。
■昨年12月6日に召天されたIさんの召天50日を覚えて祈りの時を持ちました。遺されたご家族に神よりの平安をお祈りください。
■宮川神学生も受ける教職授任按手式は3月3日(日)19時より東京教会にて行われます。乞うご参加。
□世界祈祷日礼拝が3月1日(金)13:30より、飯田橋の富士見町教会にて行われます。
□新年も人生の節目・記念日等に感謝のお花を礼拝でお献げください。献花表にご記入ください。一口600円。担当まで。
□毎週開催の集会へ、どうぞご参加ください。金曜日「Christianity Today」(18:15-19:30)、日曜日「Bible Class」(9:30-10:15)、木曜日「聖書に聴く会」「キリスト教入門」
□英語読書会は2月はお休みとなります。次回は3/3
□次回の読書会「銃・病原菌・鉄」ジャレド・ダイアモンド著(草思社文庫)を読みます。2/12(木)13時。
□東日本大震災被災者のとなりびととして歩めるように祈りましょう。詳細は[ル-テルとなりびと]で検索。

【来週の礼拝】2月3日 顕現節第5主日/総会礼拝
 聖 書 ヤコブの手紙 1:16-21
 讃美歌 (教会)171,218,157(1-3),262,157(4-6)
 説 教 「 魂を救うみことば 」安井宣生
 司 式 宮川幸祐  
 奏 楽 大江
 
【今後の予定】
●主日礼拝 日曜10:30
●バイブルクラス 日曜9:30
●聖書に聴く会 木曜10:30
●キリスト教入門 木曜19:30
●Christianity Today金曜18:15

本日  聖歌隊、こむぎクラブ13:30
29日(火) NCC青年委員会(牧師)
  3日(日) 礼拝1階、教会総会
 10日(日) 役員会、宮川神学生歓送会、全国青年連絡会(蒲田)
 12日(火) 祈祷会(聖書の学びと祈り)10:30
17日(日) 聖書の学び、教区牧師代議員会
 3月26~28日 春の全国ティーンズキャンプ(阿蘇)
 
【先週の教会】
20日(日) 主日礼拝 大人35 子3 計38名
20日(日) 聖書の学び         10名
20日(日) バイブルクラス        3名
22日(火) お母さん赤ちゃんオ-プンハウス 3組9名
22日(火) 学生センタースタッフミーティング
24日(木) 聖書に聴く会         3名
24日(木) キリスト教入門        4名
 
【当番】
 本日
  聖書朗読  井上ひ
  受付・祈祷 井上ゆ
  受付・点火 宇野く
  生け花   錬石
  献 花   井上ゆ(誕生日)、樺沢(結婚記念日)、小林(弟記念)
 
 次週(3日)
  聖書朗読  鴨下
  受付・祈祷
  受付・点火 矢田
  生け花   村尾た
  献 花   井上夫妻(孫誕生日)、小林(追悼)、増島と(感謝)
 
【今週の聖書日課】詩編85:9-14
28日(月) 列王記上3:16-28
29日(火) 列王記上4: 1-20
30日(水) 列王記上5: 1-14
31日(木) 列王記上5:15-32
  1日(金) 列王記上6: 1-38
  2日(土) 列王記上7: 1-51

【集会のご案内】
主日礼拝  毎週日曜日   10時30分より
  (こどもから大人までどなたでもご遠慮なくご参加ください)
 バイブルクラス(英語で学ぶ聖書講座)毎週日曜日9時30分より
 英語読書会 毎月第1日曜日 14時より(次回3/3)
 祈祷会   毎月第2火曜日 10時30分より (次回2/12)
 聖書の学び 毎月第3日曜日  9時20分より(次回2/17)
 読書会   毎月第3木曜日 13時より(次回2/21)
 こども礼拝 毎月第2・第4日曜日(次回1/27)、こむぎクラブ(1/27)
 聖書に聴く会  毎週木曜日 10時30分より
 キリスト教入門 毎週木曜日 19時30分より /求道者会(入門講座)随時

※キリスト教や聖書について、信仰についてお知りになりたいことのある方や、
 洗礼希望の方、また相談のある方はご遠慮なく牧師までお申し出ください。

【本郷学生センター】※英会話クラス。火曜日~金曜日。
 Christianity Today  毎週金曜日18時15分(Free)  
 English Coffee Hour 毎週金曜日19時30分
 

Bible Study:2013.1.29-2.1


Hongo Student Center
Winter Term Week 3    1/29/2013
Bible Study: Famous Miracles of the Bible


Think About It: Who listens to you?

Read:   Exodus 14:5-7, 21-31(NIV)

Crossing the Red Sea





英語読書会20130106「Mere Christianity」4章

 
1. 2013年1月の英語読書会では、「Mere Christianity」Book1第4章「法則の背後にあるもの」(What Lies Behind the Law)という箇所を学んだ。
 
ここまでの要約は、石や木などのように自然が法則によって支配されるというときの法則は、私たちが観察する実際の事実以上の何物でもないが、人間の場合は異なる。
「人間性の法則」あるいは「正と悪の法則」というものは人間の現実の行動を越えたもの、私たちが作り出したものではなくてそれに従わねばならないということを私たちが知っているものである。では、このことは私たちが住んでいるこの宇宙とどのようなかかわりがあるだろうか。
 
2. おおまかにいって宇宙について2つの考え方があった。
① Materialist view (唯物論的考え方)
② Religious view (宗教的考え方)

この二つの考え方のうち、どちらが正しいかを科学が示すことはできない。科学の仕事は事物を観察することであって、その背後に何か別のものが存在するのか或いはしないのかというのは科学の問題ではない。
 
3. 問題は次のようになる。私たちが知りたいことは、宇宙は全くの偶然から今のようなものになっているのか、それともその背後にある力がそうさせているのかということである。もしその力が存在するとすれば、それは単に事実を観察しただけでは見出すことができない。唯一事実の背後にそのような力が存在することを知りうるケースは私たち人間そのものを観察する以外にない。
 
4. 逆の言い方をすると、宇宙の外に支配する力があるとすれば、それは宇宙の中の事実の1つとして見えるはずがない。建築家が家の中の壁や階段などの家の内部のものになれないように。その力は私たちの内にあり、ある特定の仕方で行動するようにと働きかけている。
 
5. 青いユニフォームを着た人が小さい紙包みを家々に配っているのをみて、私があの中には手紙が入っているのだと推定したとする。その理由を尋ねられたら私は他の人宛の包みの中を見てはいないが、開けるのを許されている自分宛の包みの中に手紙が入っていることから推察しているのだと答えるだろう。
 
6. 自分が開けることを許されている唯一の包みはManであり、特に私自身という人間の中に見出す手紙は何を告げているか。そしてその手紙の送り主がa Power behind the facts, a Director, a Guideである。今迄の所私が言いたいのは何物かが宇宙に指示を与えており、それが私の中にあって、善をなすように私を動かし、悪を行うと自責の念と不快感を感じさせるということである。この何者かは心とか精神だと考えられる。ほかに私たちが知っているのは物質だけだが、それが指示を出すとは考えられないからだ。
 
7. 話し合いでは次のようなことが意見交換された。
① 著者は宗教的な見方の観察の根拠が自分自身の心の世界であるという叙述は大変興味深い。
 
② 宗教は非科学的であるという批判があるが、「その通りです」ということである。宗教は証明できないものなのだから。
 
③ サルの研究が進めば、サルにも、ルイスの論ずる「The Law of Human Nature」のようなものが発見されるかもしれない。ルイスは、そのことを否定はしていないと考える。
 
④ かつてNHKのドキュメンタリーで、一匹のバッファローがライオンに襲われるところがあり、そのバッファローは抵抗する力を失いかけるのだが、仲間が大挙してそのライオンに向かっていくと、ライオンは逃げ出す。抵抗する力を失いかけたバッファローが元気に立ち上がる。助けに向かったバッファローは、母性本能によるものではなくて、自分の危険を顧みずに立ち向かう姿が感動的であった。これを見ると、もしかしたらバッファローの世界の「The Law of Human Nature」が存在しているのかもしれない。
 
⑤ 植物にもマインドがあるような気がする。雑草は、葉を広げていくがその下の芝生は日
が当たらないから死んでしまう。それは自分の生育のために有利になる。また、日陰にあったものがいつの間にか日向に移っている。そのような興味深い世界がある。

⑥ 科学も仮説を立てて、進んでいく。そしてある時に検証する。しかし、そのアプローチは宗教の世界に近いのではないか。
 
⑦ また、今後の勉強会の運営方法として、Book2からは、討議の時間をもっと増やしたいという意見があった。それで、Book2からは、1時間半のうち、前半45分と、後半45分とを分け、後半は、議論、話し合いに充てることとした。また、二人のNative Speakersがいらっしゃるので、もっと積極的に議論に参加することができるように心がけることとしたい。

8. 次回の英語読書会は、2013年3月3日午後2時―3時半です。英語が得意でなくてもどうぞご参加下さい。Mere Christianity の訳本を読んで参加する方々ももいます。
 
by masujima

2013年1月26日土曜日

Bible Study:2013.1.22-25

Hongo Student Center
Winter Term Week 2    1/22/2013
Bible Study: Famous Miracles of the Bible


Think About It: What things are hard for you to believe in?
Read: Genesis 18: 9-15, 21:1-7 (NIV)
Sarah Gives Birth To Isaac 


2013年1月24日木曜日

読書会20130117「人間の往生」



「人間の往生」大井玄 著 新潮新書
 
 
論語に「季路、敢て死を問う。子曰く、未だ生を知らず いずくんぞ死を知らん。」というのがあります。
作者は「生と死は裏表一体、死を知る事は生を知ることです、そして宇宙(自然)を知ることです」とでも言いそうです。
 
昨年9月、本郷教会でルーテル学院大学の石居基夫先生の講演会がありました。
「人生をどう終わりたいですか・・・。」という命題について興味深いお話がありました。
  
イントロの部分で「伝統的な死の受容システムの崩壊」が指摘されました。
 
心休まる自宅のベットで何日か過ごした上で、家族一人一人に感謝をし、別れを告げ、枯れ木が倒れるような、眠るような、往生で自然(土)に帰っていく。
 
私は子どもの頃、山岡鉄舟が臨終に際し死の床から起き上がってきちんと座り周りの人達に一人ずつ目礼をしたうえで逝った、という話を読んで憧憬の念に包まれたものでした。
 
作者も日常的な死が病院の中に隠ぺいされ、当人の意思は無視され、無駄な延命処置の末、家族の十分な看取りもなく処理されることが死への恐怖と無知を助長するといいます。
 
最近は新聞雑誌でもクオリティーオブライフとかクオリティーオブデスということが議論されるようになり一昔前のアメリカ発の生命倫理にも見直しの風潮があるようです。
 
安楽死を問うた高瀬舟の鴎外も機嫌を直しているかもしれません。

死が必至の日常事である以上、私達はそれなりの準備をした方がいいのでしょう。

 残された者が困らないような身辺整理をしておくこと。
 不要な延命措置を断っておくこと。(尊厳死のおねがい)
 できれば死というものの自分なりの理解をしておくこと。(作者は「唯識」など仏教的教えを助けとしています)
 
そうして私達の死がそれを看た人びとに喜びや感動を残し、勇気を与えることが出来れば望外である、と思います。
 
勿論あまり家族に迷惑をかけないように死ぬことが出来ればいいのですが、或る程度の迷惑をかけるのはやむを得ないと割り切るしかありません。
 
介護施設の利用も勉強しておくべきでしょうが、現在の家族や住宅事情を考えると施設で死を迎えることも良しとすべきでしょう。
 
以上は老人(=わたし、―いくつから老人というか、個人差があるようですが)の死についての考察です。

本書の中でいくつか耳慣れない表現や興味深い表現があります。

チンパンジーの母親は子供が産めなくなったら寿命が切れる。
(生きるとはそういうことであったのか!)
人間の赤ちゃんは寝かせてもおとなしくしているので母親は時間の余裕が出来る。
(狩猟採集から農耕牧畜になり人類は余暇を得て富を蓄積し、文明を発展させた。)

唯識とは仏教用語、世界にある物体は各人の意識によってのみその存在が確認される。
各人の意識は各々異なるので受け止め方はそれぞれ異なる。
意識の中で最深層にあるものをアラヤ識といい太古から個人の中に蓄えられている。
一瞬の認識の内に生命の誕生以来数十億年にわたり蓄積された認識が発揮される。
パスカルは「極小は極大に通じる」と言ったが、同じように「一瞬は無限に通じる」。
日本の古歌に「蟻の子の 涙の中の中島で あさりを取りて 千々に砕かん」とある。
物も人も意識によってしか確認できない存在だから「空」である。
 
デカルトの「吾思う故に吾あり」というのは17世紀の発見だが唯識はインドで4世紀(?)から仏教哲学のひとつとして生れており南都六宗の法相宗はこれである。
 
自己の存在理由(価値)に固執する人間は「居場所」を求めかって自分の存在が輝いていた「意味の網」に執着する、良寛や西行のようにかっての網を棄てた人も新たな自分の網を紡ぐ。「迷惑をかけている」という思いは居場所の喪失である。
 
死は円を描き超越的存在へ繋がっていく(輪廻転生)、それは子孫であり、先祖であり、国であり、宇宙であり、神仏である。  ・・・人はこの繋がりで生きてもきた。
 
おおいなるものと共にいるという感覚があるなら死ぬのはどこであろうと、そこが宇宙の中心である 。
 
超越的存在も認識する(信じる)から存在するので、存在するから信じるのではない。
モノの上に君臨する人間ではなく自然の中に共生する人間としての認識。
(聖書の記述内容も時代と共に変貌する)
 
これらが作者の死の受容の前提になっているようです。

私達は自分の死についてどう考えているのでしょうか。
「ぽっくりと 逝くが上手な仏かな」一茶

by murao
 

2013年1月23日水曜日

読書会20131018「犀星王朝小品集」「伊勢物語」



「犀星王朝小品集」「伊勢物語」
  
犀星王朝小品集とともに題材の一部となった伊勢物語を併読することとしました。
 伊勢物語は紫式部も愛読した平安初期の歌物語で在原業平の一代記です。
 
ローマ史の回顧の中に「キケロからマルクスアウレリウスまで、神々はもはやなく、キリストはまだいない、ひとり人間のみがある比類なき時代があった。」という言葉を残した人がいました。
  
伊勢物語の時代は儒教も武士道もなく、仏教は未消化な上流階級のものであり、万葉時代に続いて「ひとり人間のみがある比類なき時代」であったのかもしれません。
  
小品集の「津の国人」は伊勢物語二十四を題材にしたもので小品集の中でも圧巻です。
しかし伊勢物語の簡潔で余韻をもたせた文章はさすがと思います。
  
伊勢六十の「むかしのひとの袖の香ぞする」のくだりは伊勢二十四の何年か後の物語として読んでみてもおもしろいお話です。
  
小品集の「荻吹く歌」は大和物語から題材をとっていますが、以前読書会で読んだ谷崎潤一郎の「蘆刈」は同じ大和物語の同じ題材を使ったものでした。
谷崎の耽美的な表現(筋書き)がいいか犀星の折目正しい文章を良しとするか意見の分かれるところです。
  
小品集の「姫たちばな」は伊勢に見当たりませんので大和物語かも知れませんが似たような話は万葉集にもあります。(1809番)
  
小品集の「野に臥す者」は伊勢十二によるのでしょうが伊勢の設定自身も奇矯な感じを受けます。もっとロマンティックな設定があってもいいなとおもいました。。
  
近所の通りの名に「言問通り」というのがあります。
東大農学部の横を通って上野へ抜ける道です。
  
伊勢五のあずま下りに「なにしおわば いざこととはん(言問わん)みやこどり」というのがあり10年ぐらい前までは言問橋のたもとで言問団子を売っていたという話です。
  
業平がしおたれてこの近所をうろついたとき教会があったら、と思うと楽しくなります。
紀貫之は古今集の序で六歌仙(僧正遍照、在原業平、文屋康秀、喜撰、小野小町、大伴黒主)について有名な評論を試みております。
 
業平については、
「その心あまりて言葉足らず。しぼめる花の色なくてにほひ残れるがごとし。」と言い、例として伊勢四の「月やあらぬ・・」の歌を挙げています。
  
後世、伊勢物語を読んだ川柳のいくつかをお示しします。
  
業平の おしい事には地色也 (地色:素人女相手の色事)
烏帽子きて 築地の穴をよつんばい (伊勢五)
連れて逃げなよ と二条の后いひ (伊勢六)
やわやわと 重みのかかる芥川  (同上)
風吹かば どころか女房あらしなり (伊勢二十三)
杜若 いたまぬように公家は折   (折り句 伊勢九)
  
紐とく(伊勢三十七)という表現は艶っぽいと思われるかもしれませんが
万葉の時代より愛の誓い、操を守るなどにことよせて広く言われていたようです。
  
うるわしと 思えりけらし な忘れと 結びし紐の 解くらく思えば(2558
二人して 結びし紐を一人して 吾は解きみじ 直にあふまでは(2919
吾妹子が 下にも著よと贈りたる 衣の紐を吾解かめやも(3585
秋風に 今か今かと紐解きて うち待ちをるに月かたぶきぬ(4311
海原を 遠く渡りて年経とも 児らが結べる紐解くなゆめ(4334
筑紫なる にほう児ゆえに 陸奥の かとりおとめの結ひし紐解く(3427
白たえの 君が下紐吾さへに 今日結びてなあはむ日のため(3181) 
人に見ゆる うへは結びて 人の見ぬ下紐あけて恋ふる日ぞ多き(2851
  
后候補の女性を連れて逃げた業平の奔放な恋物語を読むとき
待賢門院たま子への想いを抱いて出家する西行法師との違いが時代の推移を
思わせます。
  
  知らざりき 雲ゐのよそに見し月の かげを袂に宿すべしとは
  面影の 忘らるまじき別れかな 名残を人の月にとどめて
  花に染む 心のいかで残りけむ 捨てはててきと思うわが身に
  
by murao