2011年6月30日木曜日

ビギナーバイブル2011年6月24日

 
2011年6月24日のビギナーバイブルは4名の参加者とJohn先生、スタッフの酒井の6
名で行われました。

イエス様のお教えの中から、ルカによる福音書12章22~34節を読み話し合いました。

「烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。」(ルカ12:24)
「烏」とは旧約聖書レビ記11:15の規定によれば、「汚れたもの」と考えられていました。その烏をも養ってくださる神様がおられるから、私たちは思い悩む必要がないのです。

「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。」(ルカ12:27)
薪のない地方で野の花が干して燃やされていたそうです。野の花はアネモネと思われる。白、赤、ピンクとガリラヤ湖畔を美しく彩っていた。このように小さな花も神様は装ってくださるから、私たちは思い悩む必要がないのです。

私たちがすべきことは神の国を求めることです。

クリスチャンでない方には、なかなか納得がいかないようでした。
「思い悩むな」ということを実行するのは、クリスチャンでも難しいことです。

神様は考えるなとは言われていません。
考えるべきことは考えるべきです。
しかしそれ以上を考え、苦しむことを止めなさいと言われているのです。

悩む心の状態は自己に囚われています。
心が神様に向いておらず、背を向けている。すなわち罪の状態にあります。
囚われた、罪の状態からから心を天に、神様に向け、委ねていくことで心が自由になる。
そこには神様への信頼がある。

参加者のお一人が、ご自分の経験を話されました。
遠くに離れて暮らしているお父さんが足を怪我され、心配だが連絡が取れていなかった。
学生センターへの道々、祈って来たら、ようやく連絡がとれた。
祈ることで、悩むこと思い煩うことから解放され、結果は良かった。

思い悩むことは人間の普通の姿でしょう。
しかし、多分それは聖霊の働きであるといえますが、クリスチャンはこの御言葉を思い出すことにより神様に委ねることができるのです。その結果は平安が与えられるのです。

2011年6月24日金曜日

ビギナーバイブル2011年6月17日

2011年6月17日のビギナーバイブルはJohn先生、参加者3名とスタッフの酒井で計5名で行
われ、ルカによる福音書15章11節〜32節を読み、話し合いました。

この部分は英語では、The Prodigal son、またはthe Lost son、日本語では「『放蕩息子』」のたとえ」とタイトルがつけられています。
ユダヤの法では父親が生きている間に財産を分与することは許されているが、一般的に、父親の存命中には分与された財産を使うことはしません。
弟は分けて貰った財産をお金に換え使ってしまったことで罪を犯しています。分与は与えられるもので、要求するものではないからです。
しかし、ここで気づかされることは父、即ち神様は強制的にしてはならないと引き留めずに、私達に選択の自由を与えているということです。

2011年6月18日土曜日

英語読書会2011年6月


英語読書会は、2011年4月から、新しいテキストとして、私(増島)が書いた「あなたに聞いて欲しい聖書の世界」(教文館、2010)を使用しています。今度の書物も、和英対訳です。英語の標題は、“The World of the Bible-Hear How It Lives Today” です。「もっぱら聴くだけよ」という参加者もいます。参加無料です。この会には、Paul ForsythさんとJohn Hoyleさんという2人のアメリカ人が参加しています。参加者が順番で英文を読んだ後、Native Speakerが流麗な英語で朗読してくれます。いつも活発な話し合いがありますが、英語よりも日本語で行われる方が多いです。本の余部も教会に置いてありますので、入手ご希望の方は私にご連絡下さい。

2011年6月5日(日)午後1時半に開かれた英語読書会では、『あなたに聞いて欲しい聖書の世界』のNo.2(第2章)「恵みの賜物を生かす」(Applying the Gifts of Grace)の後半部分でした。「信徒と牧師」(Laity and Clergy)に関するところです。

イエスの時代に人々が生きることは大変だったと思います。みな自分を守ることに必死でした。
そのようなときにイエスの説いた教えは、「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39)、「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ43-44)とあります。
また、ペテロがイエスのところに来て言いました。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したら、何回ゆるすべきでしょうか。7回までですか。」イエスは言われました。「あなたがたに言っておく。7回どころか7の70倍までも許しなさい。」(マタイ18:21-22) これは驚くべき教えです。 
 

2011年6月17日金曜日

読書会20110616「日本人の人生観」(山本七平 著)

2011.6.16の読書会では「日本人の人生観」(山本七平)を取り上げました。参加者は5名でした。

<日本人の人生観>
戦後生まれの人は今の社会の体制は未来永劫不変であるという信仰を持っている。

しかし、太平洋戦争の敗戦や明治維新を経験した人は体制(価値観)が簡単に変わるものだということを知ることが出来た。 

福沢諭吉は「福翁自伝」においてその変革を述べているが彼の伝統的発想の基本は変えておらずその対処の仕方に大きな誤りを犯すことはなかったという。

この伝統的発想の基本はその民族の古典を学ぶ以外に知る方法はない。

世の中は変わらないという考え(著者は信仰という)は、人生において不作為(自然)が最も良い方策だという概念(哲学)からきている。

この生き方は変化に対しうまく順応することができる、無理に逆らわない生き方である。
従って変化は自分から起こすのではなく、いつも外圧という形でやってくる。

「攘夷」から「開港」への変化は、体系的イデオロギーの変化ではなく、外圧への順応であった。このような生き方は楽ではあるが将来の予測が出来ない。

そこには将来への生き方を意思を以って構築するという努力は全く行われない。
(復旧ではなく復興だという掛け声は実現するのか?)

将来の生き方を構築するためには過去の歴史を知ることが不可欠であるが日本人は歴史を大切にしない。教科書を墨で塗るようなことを平気でやる。

皇国史観とかマルクス史観とかいわれるものは一時の流行でしかない。

日本人の歴史感覚の欠如は時間を区切る(終末)思想の欠如から来る。

「時間を区切ると未来におけるある状態を想定し、ここに仮の座標を置きそれと軌跡をつないでそれによって現在を規制していくことが出来る。」(DCFの思想:注1参照)

終末(時を区切る)という発想は個人的にも民族的にも重要な視点である。

終末は歴史の摂理(絶対者の意思)であり、人間に出来ることはそれを知ってそれに対応することであり、そういう意識が日本人には欠落していることをいつも意識し続けることが大切である。(原発事故はまさにこの事でしょうか?)

ペンテコステでの聖歌隊

12日のペンテコステ(聖霊降臨祭)では、詩編150編より創られた「主をほめたたえよ」ーHallelujah, Praise Ye the Lord ー を礼拝説教の後に讃美しました。

この歌は、昨年、宗教改革記念日にも歌いましたので、皆、落ち着いて、わりとハーモニーよく、かつ、勇ましく歌えたように思います。

赤いカバーをつけた楽譜を用い、聖霊が、私たち一人一人の上に火のように下り、神様の恵みに感謝して生きていけますようにと願いました。

音声はこちらから聞くことが出来ます。


この日は、発声指導の先生が見えたので、礼拝後に教会員全員で柔軟体操をして筋肉の緊張をほぐし、それから発声練習に入りました。パート別に3音づつ上がって、「イイイーエエエーエ」なる音階などを練習しました。大分、合ってきているが自信がない人がいるとの指摘を受け、自分の事のように思いました。歌は、声を張り上げず、しかし、力強いブレスで、他のパートをよく聴いて、笑顔で歌いましょうね、との朗らかな笑顔でのお話でした。

これからの予定は、限られた練習時間の中ですが、クリスマスを目指してメサイアから数曲を英語の歌詞で歌う!段取りを期しています。

2011年6月15日水曜日

ビギナーバイブル2011年6月10日


2011610日のビギナーバイブルはJohn先生、参加者4名とスタッフの酒井の計6名で行われました。

来る612日(日)は聖霊降臨祭であったため、聖霊について学び、話し合いました。

ヨハネ福音書14:16172526と使徒言行録1:35を読みました。
そこから以下のことをわかちあいました。
1)イエスは十字架に架けられ、復活され、昇天され、聖霊を送られる約束をされた。
2)それは弁護者、真理、すべてのことを教え、イエスが話されたことを思い起こさせる霊で、永遠に私達と共にいてくださる。

また、使徒言行録2:1432333739を読み、そこから以下のことをわかちあいました。
1)五旬祭の時に炎のような舌が現れ人々の上にとどまり、人々が聖霊に満たされ、
ほかの国々の言葉で話した。
2)イエスが約束の聖霊を御父から受けて人々に注いだ。
3)この霊は悔い改め、洗礼を受けると賜物として受けることができ、それは主が招
かれる全ての人に与えられる。

2011年6月14日火曜日

学生センターレター20110614

Week 10 Bible Study
June 14th – 17th
Good Friday

Bible Reading: Luke 23:33-34, 44-46

When the soldiers brought Jesus to the place called the Skull, they crucified him there, along with two criminals—one on his right, the other on his left. 34 Jesus said, “Father, forgive them, for they do not know what they are doing.” And they divided up his clothes by casting lots (gambling). 44 It was now about noon, and darkness came over the whole land until three in the afternoon, 45 for the sun stopped shining. And the curtain of the temple was torn in two. 46 Jesus called out with a loud voice, “Father, into your hands I commit my spirit.” When he had said this, he breathed his last.

Teaching Point: 
The day on which Christians celebrate the death of Christ is called Good Friday. Why do we call it Good, do you think? In Jesus` death God gave the world forgiveness from sin and a relationship with Him forever. Jesus` death is the greatest gift the world ever received. For this reason, we call it Good Friday.

Better Understanding Through Drama!
Kid: Dad, can we go to church this Friday?

Dad: Sure… but you usually think church is boring, why do you want to go on Friday?

Kid: Last Sunday the pastor said that we will celebrate Good Friday this Friday! If it’s Good Friday then it’s probably a fun Friday!

Dad: Ahh… I see…. Well, do you know what we celebrate on Good Friday?

Kid: I don`t know, Santa Clause’s birthday?

Dad: No you crazy kid! We celebrate Jesus` death on Good Friday!

Kid: You’re the one who is crazy! Everybody knows that death isn`t good!!

Dad: Yes, but Jesus` death was good for us. Through Jesus` death we have been given a relationship with God and we are free from sin. Jesus` death is the best thing that ever happened for us. 

Kid: Oh, I get it… that’s why we call it good!
Dad: Good Job! I guess you’re not so crazy.

What do you think about the death of Jesus? Do you ever wonder what Jesus did for you?

2011年6月11日土曜日

6.11 となりびとの祈りにて

 

東日本大震災の地震発生、津波の襲来から3ヶ月となる6月11日に、東教区が主催し、「となりびとのいのり」という集会が東京教会にて行われました。
ハープセラピストのキャロルさんによるハープと祈りの時がもたれ、また現地スタッフのお二人から報告をうけ、それぞれの場における支援を続けていく気持ちを励まされる時となりました。祈りの時間のビデオです。照明の都合で真っ暗ですが、ハープとキャロルさんの歌声の優しい響き、そして静かな時をご一緒に。
▶をクリックすると始まります。 

2011年6月7日火曜日

ビギナーバイブル20110603

2011年6月3日のビギナーバイブルはJohn先生、参加者4名とスタッフの酒井、計6名で行われました。

ルカ8章40〜56節「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」を読みました。

「イエスは帰る」(40節)といわれているが、帰られた場所はイエスがガリラヤ宣教の拠点とされたカファルナウムと思われる。カファルナウムは当時、ローマ軍の駐屯地で栄え、商業的にも豊かであった。この地のユダヤ教会堂長は社会的に地位があり、富める人であった。しかし、会堂長の娘(12歳)は死に至る病に苦しんでいた。

一方ここに、12年間出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしてもなお、癒されずにいる貧しい女性が登場する。


2011年6月5日日曜日

海草を食べて十三浜を応援しようプロジェクト


3月11日、この日に漁の解禁日となったひじきが収穫され、翌日解禁となるわかめ漁の準備を終えたところに震災が起きたそうです。

その貴重なひじきと、卸業者さんも流されてしまったために、売ることができなくなってしまった海産物が石巻市十三浜の漁師さんたちから送られてきました。

教会のみなさんにお買い求めいただきました。

おいしくいただいて、かの地を私の内に迎えたい。

被災地への雑巾

 
ルーテル教会救援(JLER)と日本福音ルーテル教会女性会連盟の呼びかけにより、被災地での片付け作業に用いる雑巾を送るプロジェクトがあり、当教会でも、一人一枚をと呼びかけました。
3週間で47枚の雑巾が寄せられましたので、支援センターのある仙台教会へお送りしました。ご協力に感謝致します。
全国では1,000枚との目標でしたが、それを大きく上回る13,000枚の雑巾が寄せられたそうです。すごいなぁ。