2011年5月28日土曜日

ビギナーバイブル20110527

2011年5月27日のビギナーバイブルはJohn先生、参加者3名とスタッフの酒井で計5名で行われました。

日曜日のバイブルクラスに出席された方が、その日の聖書箇所であったヨハネ福音書14章11節の「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる・・・」について質問されました。

そこで、「三位一体」から父と子と聖霊は3つの位格を持つが、一つのものであるとお話しし、その他、以下についてお話ししました。
・イエス・キリストは100%神であり、100%人間である。
・人間には父なる神は理解できないが、100%人間でもあるイエス・キリストを通して神を知ることが可能である。
・イエス・キリストは人間となられたので私達の痛み、悲しみ、喜びを理解してくださる。
・罪人である私達は本来「義」である神と遠い存在であるが、イエス様が父なる神への「道」となってくださる。
・祈る時もイエス・キリストによって「神の子」となる資格を与えられたクリスチャンは「アッバ、父なる神様」と呼びかけ、「イエス・キリストの御名によって」とイエス様を通して祈る。
・聖餐を受ける時、酒井は、イエス様が自分の内に入ってくださり、自分がイエス様の内
なる存在にして頂く、護られるという感じを持つ。

続けて、ルカ福音書10章25〜37節(善きサマリア人)を読みました。

・サマリアは元はユダヤ12部族の一つであるが、アッシリアに征服されために、民族に混血が起こったこと、また聖書の一部を信奉し、一般的なユダヤ教とは一線を画していたために、ユダヤ人は彼らを見下し、忌み嫌っていた。
・エリコは神殿のある都エルサレムから約30km離れ、1000m程高い位置に在って盗賊、追剥が出没した。
・政治と宗教が結びついている社会で祭司、祭司に次ぐ地位のレビ人は人々を導く高い地位にあった。

これらを基礎知識としてイエス様のたとえ話を考えました。

・ユダヤ人は神から選ばれ、律法を守っている民と自負していた。
・実際は、人々を差別し、神の律法が教える「愛」から離れていた。
・質問した律法の専門家は、祭司やレビ人でなく、自分達が嫌っているサマリア人が真の隣人であるというイエス様の譬え話しの結論にショックを受けた。これはユダヤの社会を揺るがす考えである。
・イエス様は表面的な律法の遵守ではなく、神様が一番大切にしなさいという「隣人愛」を教えられた。

参加者からビンラディンも隣人なのかと質問されました。
答えは「Yes」です。
しかし、隣人愛、「隣人を自分のように愛しなさい」という教えは人間には従うにはとても難しいことです。
そこに悔い改め、イエス様に助けを求める祈りが生じるのです。

2011年5月27日金曜日

音声ブログ開設しました

日曜礼拝での説教や聖歌隊の賛美など、
当教会からの音声をお届けするブログが開設されました。
ダウンロードもできるようになっています。
どうぞご利用ください。

ブログ「あなたに話したい」は
こちら→ http://www.voiceblog.jp/hongo/

ビギナーバイブル20110520

2011年5月20日のビギナーバイブルは、
John先生、参加者2名とスタッフの酒井で計4名で行われました。

先週に引き続き、イエス様の誕生物語の一つである、「占星術の学者たちが訪れた」出来事が描かれているマタイ2章1節から12節を読みました。

以下のことをわかちあいました。

・Messiah(メシア)とは「油注がれた人」、救世主、キリストを意味する。王も神に選ばれ油注がれた者である。
・キリスト教は価値観の逆転があると先週述べたが、ここにもユダヤの王の誕生がユダヤの人々ではなく異邦人である東方の学者たちに先に知らされ、また、イエス・キリストがユダヤの人々だけの救い主ではないことを意味しているかも知れない。
・なぜベツレヘムで誕生になったか、それはミカ5章1節に書かれているように小さなものベツレヘムを選ぶ神様の眼差しがある。またここに預言が実現された。
・学者たちが日常のすべてを置いて星の示すユダヤの王を探しに、危険を顧みず、遠い東の国から訪ねて来る。
・そうせざるを得なかった何かを学者たちは星によって示された。
・学者たちは幼子のイエス様にひれ伏し、拝み、黄金、乳香、没薬という貴重な宝を献げた。
・イエス様の中にそうするだけの神聖を感じたと思われる。
・マタイ13章44節にあるように、畑に見つけた宝を買うために持ち物をすっかり売り払う天の国にたとえられるようなものを学者たちはイエス様に見つけたに違いない。
・学者たちは夢で告げられた通り、別の道を通って帰った。
・クリスチャンとは自分の思い描く道ではなく、神様に耳を傾け、別の道、神様に告げ
られた道を歩み続ける者ではないかと思う。

2011年5月25日水曜日

今年は例年以上に鮮やかな花を楽しませてくれました。
礼拝堂から出ると、この美しさでした。
教会の目の前、本郷郵便局の生け垣です。

2011年5月23日月曜日

東日本大震災の悲しみと支えに心をよせる集会をします

フェローシップリトリートへのお誘い


森の中に静かにたたずむジャンさんの別荘。緑のシャワーが心と体にしみ込む気持ちのよい場で、ゆっくりとした時間を共に過ごし、クラスの仲間や教師と語り合うリトリートにあなたをお誘いします。お友達をお誘いくださるのも歓迎します。
 
日 程 2011/6/18(土)~19(日)
場 所 長野県富士見町小六ジャン・プレゲンズさんのコテージ
参加費 6,000円
    (交通費別:宿泊費と温泉、保険、3食18日夕19日朝昼込)
交 通 車で乗り合わせて行く場合、5,000円を徴収します。
    電車で行かれる場合は、「小淵沢」までいらしてください。
    迎えに行きます。(電車:片道5,500円)
プログラム(予定)
     6/18 9:00出発 13:00現地着、セッション1、温泉、バーベキュー
     6/19 朝の祈り、セッション2、ハイキング、セッション3、19:00東京着
持ち物  宿泊に必要なもの、シーツになるもの1枚、
     サンダル(コテージ間の移動に便利)、スニーカー(ハイキングに便利)
申し込み 6月12日(日)まで申込フォームにご記入の上、
     本郷学生センターまで申し込んでください。
     参加費は当日徴収します。
     本郷学生センター hongo@@jelc.or.jp(送信時@はひとつに)

本郷学生センターFellowship Retreat2011参加申込フォーム
   お名前             (    歳) 
   携帯電話番号                         
   メイルアドレス                        
   交通(○をつけてください)  
     車に同乗を希望   電車で現地へ

2011年5月22日日曜日

香港からの祈り

香港の教会のみなさんから、東日本大震災を心においての祈りのお便りが届きました。
ひとつひとつの祈りに心を合わせて貼っています。
しばらくしたら、被災地へお持ちしようと思います。

2011年5月20日金曜日

読書会20110519「風土」(和辻哲郎)

5月19日の読書会では、和辻哲郎著「風土」を7人の参加者が共に味わいました。

  
以下、リーダーの村尾さんのレジュメから

「文明の外形はこれを取るに易く、その精神はこれを求むるに難し。」とは福沢諭吉(文明論の概略)の言葉である。

「文化」(culture>cultivate)という言葉の理解について次のような表現がある。
「自然の状態を自己の根本的な相手と見なし、どう対処するかを長い年月のうちに 定型化し、それを人間同士の対応の仕方、事物を認識する態度にまで拡大してゆく・・・文化とは土地に固着したもので移転不可能なものである。」

しからば「文明」(civilization>civil)はというと、「農業や工業は道具を操作する技術、宗教や法律は言葉を媒介とする組織・・いずれも知的な理解と認識によって成立し模倣されうるもので移転可能なものである」

和辻はこの意味で風土と文化は不可分であり、「風土現象を直視することで、そこにある人間存在の特殊性に入る。」と前置する。

そして風土の形態を「モンスーン地域」「砂漠地域」「牧場地域」に分類する。

「モンスーン地域」
台風洪水など不可抗力ともいうべき自然の猛威はあるものの、豊かに食物を恵んでくれるその恩恵に抱かれていることがよしとせられ、受容的かつ忍従的な人間類型が形成せられる。自然と共生する人間は動植物と等位であり輪廻思想が生まれる。

「砂漠地域」
自然は生気のない荒々しい世界である。人間は部族の命令に絶対に服従しながら団結し、自然との間に、また乏しい自然の恵みを求めて他部族との間に絶えざる戦闘を繰り返す。

この砂漠的人間の生み出したのが人間の絶対服従を求めるヤーウェのような人格神だった。砂漠民族の特性として、思惟の乾燥性、意力の強固、道徳的強烈、感情の空疎、を挙げる学者もいる。

「牧場地域」
南欧は明るく北欧は暗いが共通なのは夏の乾燥と冬の雨期の結合である。
夏の乾燥は夏草(雑草)の繁茂を防ぎ、冬の雨期には柔らかい冬草(牧草)が育成する。自然は人間に対して温順であり規則正しい。

人はモンスーン型人間のように自然に忍従する必要はなく、砂漠的人間のように自然を恐怖する必要もなかった。このような従順なる自然において初めて合理的精神が発達したのであり自由の観念や哲学や科学が誕生した。
ユダヤ教の乾燥性を否定しヨーロッパ的潤いとして愛の宗教が生まれた。

「モンスーン地域の各様態」
―昭和初年(3-6年)の記述である―
南洋(東南アジア)の風土は豊かであり人は単純に自然に抱かれていればいい。
単調な季節で刺激も少なく西欧の植民地となってしまった。

インドは受容的ではあるが南洋の自然と違って単調ではない。そこには感受性に富んだ受容の態度がある。リグ・ヴェーダにみる神との関係は恵みに甘えるものであり沙漠の絶対服従ではない。しかしシナ人の持つ強さはない。「覆いがたい哀調を漂わせる受忍」の姿勢がそこにはある。

シナ(中国)は単調にして空漠たる大陸である。シナ的人間は無感動性に特徴がある。
黄河は砂漠に源を発し流域は麦作地帯であり、揚子江は湿潤な米作地帯である。
シナ的人間は忍従の奥に砂漠的戦闘的なものをいそめている、このことが無感動性につながっている。

日本は台風のような季節的突発的なものと四季の変化によって、その受容性は変化を求め、落ち着きがなく持久力はない、感情の高揚を尚びながら執拗を忌む、しずこころなき櫻である。剣禅一如は生への執着から生の超越を求めた台風的忍従である。

「牧場地域の各態様」
ギリシャには春霞はなく透き通った大気がある。地中海に流入する大河はローヌとポーの二つしかない、黒詩をのような豊饒な海ではなく痩せ海で透明度は高い。
海は食卓に供する畑としてではなく交通手段として利用された。

樹木の姿も規則的(対称的)で日本の松のような枝ぶりの樹木はない。
自然は可視的であり規則正しく温順である。
陸地の耕作は雑草の繁茂や害虫の繁殖、湿潤対策も不要であり余暇が生じる。
他に北欧の陰鬱と音楽に関する考察など興味を引くものがあるが割愛する。

「ピラミッドについて」-沙漠の態様
人は暗闇の中で人家の灯を見つけるとホッとする。
沙漠(暗闇)の中に自然のものではない一目で人間の作ったもの(灯火)とわかる構築物を作りたいという願望がバベルの塔を作った。

自然と調和しその中にとけこんだ日本の家屋と沙漠の民のそれを比較せよ。

原発事故も自然災害とみて受容し忍従していく人間類型が見えるようなこの頃です。

2011年5月17日火曜日

ビギナーバイブル20110513

2011年5月13日のビギナーバイブルは
John先生、参加者4名とスタッフの酒井で計6名で行われました。

John先生のお祖母さまがクリスマスに優しい静かな声でいつも読んでくださった懐かしいルカ福音書2章1節から21節、「イエスの誕生」と「羊飼いと天使」を読みました。

Q)飼い葉桶とは何か?
A)家畜達の餌を入れる桶。羊と言うと日本の人達は白いふわふわした毛を思い出すかもしれないが、実際は臭くて毛も汚い。キリスト教はユダヤのそれまでの価値観をひっくり返している。イエス様が救い主、王ならば宮殿で生まれると思われるが、汚い、臭い家畜小屋で生まれている。羊飼いも又律法を守ることの出来ない汚くて臭い、社会的に見下された人々であるが、そのような人々に天使が現れ、イエス様の誕生を知らせる。

Q)天使は選ばれた人にしか現れないのですか?
  もし天使が自分に現れたら直ぐにイエス様を信じることができるのに・・・
A)全ての人に現れることはない。新約聖書の中でも天使が現れたのはマリア、墓に行った女性達とユダヤで男性より見下されていた女性達にも現れていてここにも価値観の逆転がある。
全ての人に現れないのは、イージーな方法ではなく、心の中で考え、考え、信じることに導かれるようにということだと思う。わたしは天使が自分に現れて欲しくないと思っている。天使が現れるとメッセンジャーとしての働きを託されるから。
想像するに、当時夜は本当に真っ暗闇だった。そこに輝く天使が現れた。彼らはとても怖かったと思う。しかし羊飼いは直ぐにイエス様に会いに行っている。それ故に選ばれたのだと思う。

Q)「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」とあるが、人に話さなかったということか?
A)話さなかった。当時結婚以外で身籠ることは死に価する罪を意味していたから。また、イエス様の将来を母としていろいろと考えさせられたと思う。

2011年5月11日水曜日

祈祷会(聖書の学びと祈り)20110510

新約聖書  コリントの信徒への手紙二 9:1〜15
新約聖書1日1章 (榎本保朗著)

<学び>
パウロは、エルサレムの教会に対する献金を奨め、そのことを通して異邦人教会とのみぞを埋めることを願った。

日常の生活と信仰生活とを結びつける難しさがある。
ある方の葬儀においてのお話しをされ、困難の中、祈り続け御連れ合いの受洗によって、生活と信仰との一致の喜びを得られたこと。
困窮する人へ手を差し伸べることが、一致を生み、神とその働きを味会うことになる。

初めて参加された方があり、15年前に聖書に出会い、興味深く読み続け、色々な教会に出席していること。教会の看板を見て今日祈祷会に参加されたこと。なかなか現実の生活の苦しみの祈りの答えがないこと。日本社会におけるキリスト教信仰の難しさがある。などお話しを聞くことが出来ました。
この他、献金についてどれだけ認識しているか、募金になっていないか。
被災された中学生のという卒業式の答辞から、「天を恨まない」ことについてなどいろいろ考える時となりました。

<祈り>
被災者の方々の心の癒やしと生活の回復。
新しい生命の誕生の感謝と祝福
高齢のかたの健康をお支え下さい。
センターの働きに導きを。
試験を控えている方の上にお力を。

参加者  9名
ランチ  10名

次回は
6月14日(火)10:30からです。
どうぞいらしてください。

2011年5月10日火曜日

ビギナーバイブル20110506

2011年5月6日のbeginner BibleはJohn先生、参加者3名とスタッフの酒井で計5名で行
われました。参加者3名の内2名が前回出席していなかったため、イースターについての質問から始まりました。

1)何故イースターというのか。
古い英語のEastreという言葉に由来し、これはドイツ語に起源する。
東は太陽が昇り(rise)、暗闇から光が現れる。
イエス様が死から甦られた(has risen)ことを連想させた。

2)イースターに特別なことをするか。
John先生の教会ではイースターの前、イエス様の死を覚え、礼拝堂にある花とか飾り、明かりが少しづつ取り去られ、最後にイエス様が息を引き取られた時として、牧師が大きな音をたてて聖書を閉じる。イースターになると逆のことを行う。
また家族が揃ってハムを食べるが、ラムを食べるところもある。
イースターエッグつくり、エッグハンティング、エッグツリーつくり等を行う。

3)仏教の輪廻のような考えはあるか。人間に原罪があると考えるのか。
キリスト教では一度きりの生しかない。原罪があると考える。
イエス様は「死」を克服したのでもはや私達は「死」を恐れること必要はない。
「死」には二重の意味があるり、肉体の死と罪(sin)である。
罪は日本人が普通考える罪(犯罪)とは異なる。
憎しみ、貪欲、嫉妬等、神様に背を向けること、即ち自己中心性が人間の本質にあり、これが罪である。

4)罪人でありながら救われるとは。
人間は罪人であるがイエス様がご自身の内に包み込んでくださり、神様の目には正しい者としてくださる。 

2011年5月7日土曜日

英語読書会2011年5月

英語読書会は、20114月から、新しいテキストとして、私(増島)が書いた「あなたに聞いて欲しい聖書の世界」(教文館、2010)を使用しています。今度の書物も、和英対訳です。英語の標題は、“The World of the Bible-Hear How It Lives Today” です。「もっぱら聴くだけよ」という参加者もいます。参加無料です。この会には、Paul ForsythさんとJohn Hoyleさんという2人のアメリカ人が参加しています。参加者が順番で英文を読んだ後、Native Speakerが流麗な英語で朗読してくれます。

2011
51日(日)午後1時半に開かれた英語読書会では、『あなたに聞いて欲しい聖書の世界』のNo.2(第2章)「恵みの賜物を生かす」(Applying the Gifts of Grace)の半分まで読み話し合いました。18人も参加してくれました。

本章の中で言及していることですが、かつて日本福音ルーテル教会東教区は、信徒452人の証言集を編纂しました。これは宣教百年を記念して作成されました。各教会の信徒や牧師の興味深い証言が記録されています。本郷教会からも数名の方が寄稿しています。私もその中に入っています。この書物を読んで、約80%の人は何が契機で教会の門を叩いたかに触れています。それを私が分析した結果は、拙著に掲載(p60-61)していますが、多い順に挙げますと、
    聖書・聖句との出会い
    牧師・宣教師夫妻の生き方に触れたこと
    子供の頃教会幼稚園や教会学校に通ったこと
    お母さんなどの家族の勧めがあった
    クリスチャン・ホーム
    この世で信徒の生き方に触れたこと
    教会での印象がとても良かったこと
です。

今回の参加者(教会員もそうでない方も)に、教会に足を踏み入れた契機をそれぞれお聞きしたら、
・欧米の文化の一つとしてキリスト教を学びたかった。それと英語に興味があった。
・理髪店の壁の看板で本郷学生センターのことを知り、訪ねた。
・東京教会にたまたまコンサートに出かけた際に、教会の壁に張られた英語読書会のチラシを見て、興味を持った。
・もともと英語に興味があったが、散歩していたらこの教会の前を通り、玄関の掲示板を見た。
・母が英語の勉強のために学生センターの出席を勧められた。
・クリスチャン・ホームであった。教会でオルガンを弾きたかった。宣教師にオルガンを弾くように勧められた。
・牧師がくれたパンフレットを見て来た。友人が教会員であった。学生センターが親切に受け入れてくれた。
・夫に自分の信仰を理解して欲しいと言われてきた。
・カトリックの教会に出てとても良かった。大阪の教会の礼拝に出席していた。東京に来て文京区の本郷が気に入った。本郷にもいくつかの教会があるが、夕方散歩していたら、この教会は明かりが灯っていた。牧師と電話したらとても感じが良かった。
・英語が学びたかった。宣教師が親切であった。
・夫が病気になり、支えが欲しく教会を探していた。次女が本郷教会にきて教会学校の教師をやっていた。その娘がルーテル教会を勧めてくれた。
英語と英文学に興味を持っていた。仕事をやめて友達もいない寂しいときに、英会話を勉強したくて教会に行った。その場所でノルウェーの宣教師が自分をとても大切にしてくれた。
・母が日本基督教団の教会に通っていた。受験勉強の時に西方町にあった当初の本郷学生センターに行ったことがある。後に、自分のマンションで、偶然に当時の宣教師ハイランド夫妻にエレベーターに出会った。娘に英語を教えて下さいと頼んだら、夫妻がセンターに来ることを勧めた。訪ねたら心から歓迎してくれた。
・J3の方に勧められた。子どのもの頃教会学校に通っていたので、違和感がなかった。
・牧師に大変お世話になった。 
・ミッション・スクールでは、キリスト教に反発していたが、大学院に留学しニューヨークで生活をしているときに、孤独感を味わった。そのときに教会に行く以外にすることがなかったので教会に通った。それが契機で日本に戻った後受洗し、教会に通った。など、

これらの参加者のお話しはとても興味深いものでした。英語が勉強したかったというきっかけで、本郷教会や本郷学生センターに来られる方は多いですね。

1.   次回の英語読書会は、65日(日)午後1:30-3:00です。
2.   読む箇所は、『あなたに聞いて欲しい聖書の世界』“The World of the Bible: Hear How It Lives Today” 第2章「恵みの賜を生かす」(Applying the Gifts of Grace)の後半、第4節「信徒と牧師」(Laity and Clergy)からです。興味深いところです。是非参加して下さい。