2010年11月29日月曜日

聖書の学び2010年11月21日

 

 
 
教会暦も11月28日のアドヴェント(待降節)から新しい年度に入りましたが、その前の週(11/21)の朝に「聖書の学び」が開かれました。
 
毎月、第3主日の礼拝前(9:30~10:20)のそれはそれは静かな朝の”ひととき”を安井牧師による丁寧な指導の下の嬉しい聖書の学びです。
 
この秋から、旧約聖書の「コヘレトの言葉」を学んでおり、この日は2章でした。
 
旧約に造詣の深い大串肇先生が、先日の修養会でも講義されてましたが、旧約こそ面白いのだと。
 
「コヘレトの言葉」の全編を貫く「空しさ、空しい」とは、どういう意味か、コヘレトを読みながら私たちは、空しさを味わいながら考えたいと思います。
人生には、空しさはつきものですから・・・・・

それにしても、勿体ないなあ・・と私はいつも思います。出席者が少ないからです。
この宝の山を前にして!!!!(この日は都合の悪い人が数名おりましたが)

旧約聖書の醍醐味を味わい方、是非ともご一緒にその世界を共にしませんか。


報告:シマダ
  

2010年11月28日日曜日

クリスマスの飾り付け

 


 


 
教会の暦では今日は元旦。昨日は大晦日だったと聞きました。

そして、それはアドベントの始めであり、イエスキリストの誕生を待ち望む準備の4週間がスタートしました。

礼拝の後、恒例の外から見える大きなリースを取りつけ、教会の中には100個のカラフルな風船を取りつけたバルーンリースを飾りました。小さなあきちゃんから元気な爺(じい)まで参加してのひと時。

皆でワイワイ言いながらの飾り付け。疲れたけど楽しかった!!
その他にも飾りつけが増えて教会の外も中も日に日に美しくなっていきますよ。

クリスマスチャリティーミニバザーも1階で開催しています。

本郷教会に是非見に来てください。どなたでもWELCOMEです。
 

ビギナーバイブル 2010年11月26日

お一人の参加者とMatthewさんとスタッフの酒井、合計3名で行われました。
 
ルカによる福音書8章4〜15節を読み、話し合いました。

神様の御言葉である種が私たちの心に撒かれますが、その心が石地であったり良い土地であったりします。

それは人によるときもあれば、1人の人でも時として石地であったり良い土地であったりします。

たとえ今は自分の心の状態が石地であっても御言葉を聴き続けていれば神様が良い土地に変えてくださるかも知れません。

自分は神様の言葉を良く聴いていて良い土地の心を持っていると思ったら、それは石地になっているのかも知れません。

この世は多くの試練や誘惑があり良い土地であることは難しいことです。

それは自分で努力してできることではないかも知れません。

心を神様に向け、神様にして頂くことかも知れません。
 

2010年11月25日木曜日

2010年11月の英語読書会

 
英語読書会は、2009年後半から、教会員の増島俊之さんの著書「あなたに話したい聖書の世界」(教文館)をテキストに使っています。
本書は、和英対訳です。英語の標題は、"Let Me Share the World of the Bible" (translated by Thomas Dillon)です。
本を開くと左の頁が和文、右の頁が英文になっています。英語読書会では、右の頁の英訳を読んで話し合います。
  
読書会では、英語で話しても日本語で話しても良いことになっています。
「もっぱら聴くだけよ」という参加者もいます。参加無料です。この会には、アメリカ人が2人参加しています。
参加者が順番で英文を読んだ後、Native Speakerが流麗な英語で朗読してくれます。発音も直してくれます。
 
11月21日(日)に今月の英語読書会が開かれ、次の3章を読んで話し合いました。
(議論についてのディジタル録音があります。係の人に言えば利用可能です。)

No.31 The Prayer of A Decision-Maker (決断する者の祈り)
No.32 The Procedure of Expulsion in the Garden of Eden and Modern Law (近代法を支える楽園追放の手続き)
No.33 What Do You See in the Wrapped in the Depths of this Life? (この世の深みに何を見るか)
 
この世で私たちは多くの決断をします。そのとき困るのはあちらをたてれば、こちらがたたず、というときです。
100匹の羊のうち1匹が迷い出たら、それを探しに出かける前に、オオカミが羊の群れを襲う危険や暗やみの中で谷間に落ち込んでしまう危険を考えます。
仮に10匹が迷い出ても残りの90匹のことを考えます。
ですから決断はいつも相対的な判断になります。聖書は絶対的な価値判断を示します。それは、1匹の羊が迷えば、99匹をのこして、なんとしてもその1匹を探し出そうとします。(マタイによる福音書18:12-14)

世の中の意思決定は、ぎりぎりの判断は、51対49になります。これは民主主義のルールとも言えます。では、聖書は無価値のことを言っているでしょうか。断じて、そうではないのです。意思決定者は、どのような判断を行うときにも、絶対的な価値判断に立ってまず考えなければなりません。それから、苦衷の相対的判断をするのです。相対的判断をする者はニコニコ、サバサバしてはいけないのです。ですから、本当の決断者にはいつも祈りがあります。

これは増島さんの意見ですが、これに対して「ギャップを埋めるのは祈りだけですか」という鋭い質問がありました。

増島さんは、「決定した後も次の3点が大切ですね」と言いました。

第1は、不利益になる者に常に耳を傾け、苦情、不満を受け付ける仕組みを整備すること
第2は、決定したことを見直す努力をすること。すなわち成果・目標を評価し改善を図ること
第3は、リーダーは、いついかなる時も絶対的価値判断を念頭に置き、進むこと。
  
 
次回は1月16日(日)14:30から16:00までです。
 
勉強する箇所は、No.34(Stepping through the World of Mist)、No.35(The Reason Why Christian Evangelism is not Working in Japan)、No.36(What the Church is Asked to Do to Spread God’s Word)
 
 

2010年11月24日水曜日

2010年11月22日月曜日

ビギナーバイブル 2010年11月19日

 
11月19日のクラスは5名の参加者とAllysonさんとスタッフの酒井の計6名で行われました。
2名の新しい参加者を迎えて、以下のようなことについて話し合いました。
 
イングランドとスコットランドのサッカー試合で、カトリックの選手が十字を切り試合前に祈るのプロテスタントのサポーターが止めさせようと脅しました。カトリックとプロテスタントとは仲が悪いのでしょうか。

→2国間には宗教と政治が結びついてお互いに複雑な感情があると言われます。
 カトリックとプロテスタントには、違いはありますがイエス様をキリストとする中心的なことは同じです。
 数年前にカソリックの法王がルターを破門にしたことは間違いだったと認め、共同宣言が発表され歩み寄りがされています。
 
ナルニア物語の最後に信じた人は天国に行ったのですが、天国に行くのと、この地上に残るのとはどちらが幸福なのですか。

→聖書には天国について詳しく書いてありません。
 神様と共に居るところが天国と考えますから、幸福だと思います。
  
仏教の地獄には色々な地獄がありますが、とキリスト教の地獄とはどんなところですか。
 
→聖書には地獄についてあまり書かれていません。
 神様が居ないところ、または感じられない時、私たちは地獄にいるのではないでしょうか。
 
この世には様々な苦難があります。私は祈っていますが、祈りが叶えられないのです。
 
→祈りを神様は聴いてくださっていることは確かです。
 ただし神様には神様のご計画があり、祈った通りになるとは限りません。
 私たちを愛してくださっており、一番良いことをしてくださると信じます。また神様の時があります。
 
唯一、復活を信じることができず、洗礼を受けませんでした。
 
→復活を信じるのは難しいですね。
 復活の概念については歴史的にも幾つかの説があります。
 
神様の愛は感じられますか。
はい感じます。

→神様の愛を感じるのでしたら、疑問が残っていても洗礼を受けて良いと私は思います。
 私自身も洗礼を受けた当時は創世記の天地創造に疑問を持っていました。
 洗礼は神様の恵みを受けることだと思います。
 ただ受け止めることであって、私たちが勝ち取るものではないと思います。
 信仰生活をしていく間に理解や納得が与えられることも多くあると思います。

報告:サカイ
 
 

2010年11月18日木曜日

読書会2010.11.18「マキアベリ語録」

 
11月18日に読書会が開かれました。
 
5名が参加し読んだのは、「マキアベリ語録」。
以下、この会の名船頭役でもあるムラオさんよりご報告です。
 
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人はどうあるべきかということではなく、人はどういうものかという認識が危機管理(政治・経営・処世)の要諦である。
(天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである)

孫子の兵法、経営学(ドラッカー、権限委譲、内部管理、)
 兵は拙速を見るも未だ巧にして久しきを聞かざるなり(孫子)
 将は楽しむべくして憂うべからず将憂うれば内外信ぜず。(三略)
 勝利は計画の巧なるより実施において意志堅固なるものに帰す。(統帥参考)
 敵に勝る威力を要点に集中発揮せしむるにあり。(作戦要務令)
いかなる名参謀も将帥の決断力不足だけは補佐することが出来ない。

歴史の十則(本語録と共通するものが多い)
1. 繁栄をもたらした原因が衰退の種となる。(人はその長ずる処に滅ぶ、墨子)
2. 衰退の危機から脱して立ち直り新しい道を歩み出すための必須条件はトップの果断な決断である。
3. ブームの後の代償はその何倍も大きい。
4. 悲観主義がはびこるとき経済は大停滞に陥る。
5. 出遅れて出発する方が有利である。
6. 理念なき通商国家は嫌われる。
7. 官僚国家が長く栄えたためしはない、官僚がおごりはびこるようになると国家は衰退する。
8. 一つの制度や仕組み慣行が有効に働くのは高々30年である。
9. 文明の衰退期にはまさかの出来事が続出する。
10.福祉国家は活力を失う。(出典不詳)

以上のレジメを一覧後、「国内は法の支配が可能だが国家間は力が支配する」というマキアベリの思想について話し合った。

日米同盟の限界、日ソ不可侵条約と北方領土尖閣諸島問題、あるいはくり返される人間の歴史と温故知新の大切さについても再確認であった。また500年前の思想が現代においても立派に通用することに驚きをおぼえた。

その後はイタリア旅行の話に花が咲き、イタリア人の性情にも話が及んだ。 

以上
  
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次回読書会は、12月16日(木)13:30より
本郷の歌人「新編 啄木歌集」(岩波文庫)を読みます。
 
 

2010年11月17日水曜日

2010年11月16日火曜日

聖歌隊 クリスマスに向けて

 
今週から、クリスマスの歌を練習し始めました。
 
「ノエル ノエル」Let Carols Ring というスウェーデンのキャロルで、森田先生がやさしく編曲してくださいました。

ノエルとは、フランス語で、クリスマスの季節とか歌を意味します。
とても明るい楽しい歌です。

先ず、テノールが "ノエル——みこは——" と高音でスタートし、
バスが、 "うたえ——みこは——" と続き、
合わせて女声二部が、 "ノエル、ノエル、みこイエス、みそらをくだり、このよい地のえに降りたまいぬ" とメロディーを歌い、響き合っていきます。

クリスマス礼拝によい歌を捧げられるよう願っています。
 

2010年11月13日土曜日

ビギナーバイブル 2010年11月12日

  
11月12日のクラスは、4名の参加者と2名のスタッフの計6名で行われました。
 
2人の方が始めての参加でしたので、ルーテル教会の名前の由来、宗教改革、行為義認、信仰義認などについて簡単にお話ししました。
 
1人の方はしばらく続けてキリスト教会に行かれたそうで、知識は得られたけれども、心の奥にまで届かず、クリスチャンにはなれなかったとお話になりました。
 
多くの日本人はキリスト教を知識として学びますがクリスチャンになる人は少ない、それはなぜだろうかと話し合いました。
 
多くの日本人は自分の力で何とかやっている、神様は必要ないと思っています。「湯水の如く」という言葉があるように日本は豊かな恵まれた国で水も空気も空も大地もそこに在ることが当たり前と思っています。しかし人間はそれらのどの一つも作ったり産みだしたりしていません。全ては神様によって創られました。先ずそこに思いを馳せ、感謝することから始まるのではないでしょうか。
 
参加者の1人は親に感謝すると言われました。確かに親は大切で感謝すべきでしょう。しかし、私たちは親から産まれますが、実は親が私たちを創造したのではありません。親も私たちも神様によって創られ、生かされています。
 
神様がいるならばなぜ困難や試練を与えられるのでしょうか。
神様の御心は人間には測り知れません。ただ聖書から知ることができるのはどのような時にも共に神様が居てくださる、共に歩んでくださるということです。
 
神様は人間を愛される故に自由を与えられます。その結果、人間が間違いを犯し、困難に遭遇しても、神様は共に悲しみ、愛し、支えてくださっています。
 
1人の方が、「神様の愛が先に在る」と教えられましたと言われましたが、その通りです。
神様の愛に信頼し、クリスチャンになれなかったとおっしゃった方が神様によって与えられる洗礼を授かる時を祈り待ちたいと思いました。
  
 報告:サカイ
 

2010年11月12日金曜日

祈祷会2010/11/9

   
  11月9日に 祈祷会(聖書の学びと祈り)が行われました。
  
  今回は、コリントの信徒への手紙二5章1-18節。
  教会讃美歌374番(たよりまつるわが主よ)を讃美して、
  聖書を読み、「新約聖書一日一章」(榎本保朗著)を読みました。
  
  <聖書の学び>
   地上の幕屋と神の建物(生と死後)について
   葬儀や召天者記念礼拝の時よく用いられる聖句であること、
   人生は永遠の天上の家を目指して歩むのであり、
   死は仮の住まいから永遠の住みかに帰宅することであること、
   それは人間の死がキリストの生命によって克服されることにより起こることを学びました。
   
   また、「保証」という言葉について、
   これは神がわたしの救いのために支払った手付け金のことであり、
   手付け金によって、神はわたしをわたしをご自分のものとしてくださっており、
   さらに神にはその救いの完成のための残金を支払う義務が生じている。
   つまり、わたしに対する神の救いはすでに始められており、
   その完成まで神は確実に責任を負ってくださるのであるというメッセージを聞きました。
  
   また、裁きについていろいろ話しあいました。
   キリストの裁きとは人間の行為によって左右されるものではない。
   一生を振り返りどれだけ罪を悔い改め、恵みを知っているか。
   少しでも自分を奮いたたせ、主に喜ばれる生き方をしたい。
   など、色々な意見がでました。 

  <祈り>
   今入院中の方々の治療に癒やしと慰めがあるように。
   修養会、センターのキャンプ、クリスマスへの準備と備えに主のお導きを、
   海外の兄弟姉妹の上にお恵みを、
   仕事を探しておられる方々の早い解決を。
  
  <ランチ>
   中華おこわ、北海道恵み野教会の方からの贈り物のポテト、
   かぶとつみれの煮物、お豆の煮物、庄内柿、ケーキなど、秋の味覚を楽しみました。

   

  皆様もご一緒にいかがですか。
  次回は12月14日 第二火曜日です。
  クリスマスについて学びます。
  
  報告:ウノ
   

2010年11月9日火曜日

2010年11月6日土曜日

ビギナーバイブル 2010年11月5日

 
11月5日のクラスは4名の参加者とMatthewさんとスタッフの酒井の計6名で行われました。
  
参加者の方のご希望でイザヤ書42:1〜9を読み、話し合いました。

預言者とは神様からの言葉を人々に告げる人でイザヤは預言者の一人であり、イザヤ書はイザヤの預言が書かれている。
42章1節から17節は「主の僕の召命」と言われ、イエス・キリストについての預言を第二イザヤと呼ばれる人がB.C.6世紀頃に書いた。

・イエスは神様が力と霊を与えられたので力強い。
・日本語で「裁き」と書かれているが重い感じ。→「justice」という言葉には正義という意味と共に「fair」という意味も含まれている。
・イスラエルだけではなく日本人も含めて、全ての人々のためにイエス様は地上に来られた。
・イエス様の働き方は力ずくではなく、優しく働かれるので、弱くなっている心にも届く。
・ヘブライ語で「息」は「霊」と同じ言葉「ルアッハ」で、私たちは神様から息を与えられ生きる者となり、霊を与えられている。
・「the blind」はいろんな意味があると思うが、一つは神様の存在に気づいていないことかも知れない。
・「the captives」も多くの意味があるが、「お金」、「成功」「憎しみ」「差別」等に捕らわれていることからイエス様は私たちを自由にしてくださる。
・「those who sit in dark dungeons」の一例は悩みや苦しみの中に閉じ籠っていることかも知れない。そこから救い出してくださるのがイエス様。

読み終わっての皆さんの感想は「難しい」でしたが最後に一人の方が「神様は愛ということですよね。」と締めくくってくださいました。
  

2010年11月5日金曜日

学生センターレター20101102


ある日の聖歌隊練習

  
宗教改革主日礼拝でのさんびの奉仕に向けて、猛練習。

この日は指導してくださっている森田先生もいらしてくださり、熱のこもった指導をしてくださいました。
真剣そのもの。